騎士団長殺し?騎士団?ロドス騎士団?押さえておくべきロドス騎士団にまつわる世界遺産
「騎士団長殺し」とは関係のない騎士団にまつわる世界遺産②(全5回)
前回の記事に引き続き騎士団に関する世界遺産第二弾です。
worldheritagebook.hatenablog.com
前回の話の続きで、13世紀末頃、聖ヨハネ騎士団はシリアの「クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン」をイスラム勢力に陥落させられ、十字軍の領土を失い、シリアからキプロス島に渡り、さらに1309年、ロドス島に移住しました。城塞を築いて防御を強化し、聖地奪回に向け準備を始めました。
ロドス島はギリシャ東部、エーゲ海に浮かぶ中世都市でギリシャ本土よりトルコに近く、現在は地中海クルーズで立ち寄る島として人気を博しています。
ロドス島に本拠地を移したころから聖ヨハネ騎士団は「ロドス騎士団」と呼ばれるようになりました。
ロドス騎士団は、その後1444年、エジプトの艦隊により首都が包囲されますが、撃退に成功。続く、1480年、オスマン帝国のメフメト二世の包囲攻撃を受けますが、これも撃退しました。
しかし、1522年、オスマン帝国のスレイマンの来襲では6か月の防衛の後、ついにロドス島を明け渡してシチリア島に撤退しました。
ロドス島にはゴシック様式の8つの騎士団の館が今も残り、特に高い丘にある「騎士団長の館」(下写真)は観光地としても有名です。
これらの歴史的背景、建築様式が評価され、1988年に「ロドス島の中世都市」として世界遺産に登録されました。
ロドス島の中世都市
国名:ギリシャ共和国
遺産種別:文化遺産
登録年:1988年
登録基準: (ii)(iv)(v)
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